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京都市中京区にて電気設備工事 
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 第42話 昭和初期の電気・電力利用 その2

   
  今回は第39話(昭和初期の電気・電力利用)のつづきと申しますか、ちょっと
 それに先立つ年代のお話をお伝えします。電気を守る会発行の「電灯100年」
 誌からの引用です。



 「電灯50年祭と京都の催し」

  昭和4年、電灯50年祭を迎えて、多彩な祝賀行事が行われたが、京都におけ
 る催しは次のようなものであった。
  まず、祝賀会が都ホテルで盛大に行われた。それから市電気局、京都電灯(株)
 、島津製作所の電気自動車行列、乾電池電灯を用いた提灯による電気提灯行
 列である。
  また、京都商工会議所主催、京都小売店連盟である各小売店街約70カ町にお
 いて行われた店舗装備競議会では、装飾的高濁外灯の連灯と店舗照明の改善
 とにより全市を光の海とした。
  他に、京都大丸において展覧会、岡崎公園において夜間庭球大会、両夜京都
 公会堂において宝塚少女歌劇が、それぞれに催された。

 「トーキーの出現」

  昭和7年5月、当時日本第一位の映画製作会社であった松竹キネマが「忠臣蔵
 」の製作にあたり、洛北下鴨に関西で唯一のトーキー撮影所を開いた。
  トーキーは画と音を別々のフィルムに写すもので、画の方は無声映画撮影と変
 わりはなかった。同所では土橋式の録音機が採用された。トーキーは音響学 
 的に非常に苦心を要し、防音装置に工夫がいり、照明設備においても従来のア
 ーク灯は音を発するため白熱電灯を用いた。また撮影速度が速いので高照度の
 ものを必要とした。
 同所では直流100KW容量の電動発電機が運転されていたが「忠臣蔵」の撮影に
 おいては、交流より50KWを補足して最大150KWの莫大な電力が使用された。
 


 いかがでしょう。懐かしく思い出された年配の方もおられるのではないでしょうか。 
 時は恰も満州事変が起り、満州国成立、日本の国際連盟脱出へとつながってゆ
 く頃にあたります。

 

 

                                  (第43話をお楽しみに・・・)

 

 


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