創業明治26年より
京都市中京区にて電気設備工事 
を通じて明るい社会づくりを目指しています。

 

第38話 大正から昭和の街路照明 その3


  今回も前々回、前回に引続き、電気を守る会発行の「電灯100年」誌か
 らの引用です。年配の方なら「河ブラ」という言葉を懐かしく思い出されるこ
 とと思います。

  都市計画によって河原町通が南北に縦走するにおよんで、丸太町から
 七条通りまで20数町に2灯付および5灯付の街灯が380基建ち並び、
 新興の街路を力強く輝かし、バーやカフェーが文字通り軒を連ね、京の
 河ブラの名に繁栄の華が咲いたような感じになった。昭和2年、柳桜の植
 樹地帯木屋町通りに台灯付のシックな街灯が二条五条間15カ町にわた
 って120基建設され、木屋町のなごやかな情緒を漂わせていた。新京極
 の繁華も各町の絶えない街路照明の建設、店頭照明の改善に押されて、
 ついに昭和3年、町議により3万円を投じて華麗な独特の全町の軒先を連
 ねた街灯181基を建設した。
  昭和3年の秋、御大礼の記念として街灯を建設するものが相次いで全
 市におこり、主要商店街の大部分は街路照明の施設を作った。京都市に
 おけるこれらの装飾街灯柱は、その建設費は多く沿道の家主が負担し、
 その経常費は借家人が負担することになっていた。すなわち、各町が競っ
 て他所より以上の立派な街灯を建てようとした結果、多種多様の灯器を
 生み出して一見はなはだ統一を欠く観がないでもなかったが、しかしその
 街々の特徴を生かし、かつ全市の調和、都としての気分を破らないように
 常に注意が払われていた。

《新京極の軒装照明》

  いかがでしたか。照明もずい分と進化しましたので、現代の明るさとは恐
 らく比べものにならない照度であったことでしょう。でも人々の心意気や華
 やいだ気持ちが、今よりもうんと伝わってくるのではないでしょうか。

                             (第39話をお楽しみに・・・)

 


Copyright(C) 1999-2012 YAMASHINA ELECTRIC CONSTRUCTION Co.,LTD