創業明治26年より
京都市中京区にて電気設備工事 
を通じて明るい社会づくりを目指しています。

 

第29話 初期の頃の仕入先、外注先 その4


  今回は津田電線さんと、東京電気株式会社さんのお話です。

  電気工事に欠かせない電線類の製造は、日本国内では藤倉電線と津田
 電線とが草分けでした。津田電線さんは京都府久御山町にあり、今日でも
 電線業界でご活躍ですが、当社の初期の頃、電線類はこの津田電線さん
 からほとんど仕入れていました。当社の古い帳簿には津田幸次郎氏(津田
 電線)からの仕入れの記録が残っています。
  取引は大正の中頃まで続いていたと思われますが、それより後は電材店
 を通じての仕入れに変わってゆきます。尚、何代目になられるのでしょうか
 津田武雄氏(現相談役)が95歳を超えられた現在も赫灼として会などにお
 出になっておられるお姿を時々拝見し、私もあやかりたいものだと思ってい
 ます。

  当社の創業者 山科吉之助が明治18年から22年まで、三吉電気に勤め
 ていた時がありました。この三吉電気が後日、東京白熱電燈球製造株式
 会社と改称し、更に東京電気株式会社(明治32年)、東京芝浦電気株式会
 社、東芝と改組、改称を繰り返し現在に至られています。
  その東京電気さんから、明治32年11月13日に電球類62個を仕入れ
 ています。金額にして19円75銭です。12月23日にも仕入れがあり、それ
 ら合計81円47銭が12月23日付で、東京電気から請求されています。
 この請求書が面白く、東京白熱電燈球製造株式会社の旧社名の印刷の
 上に、ゴム印で新社名に訂正されているのです。住所は東京芝区三田四
 国町2 とこれもゴム印が押されてあり、今日なら当然印刷し直すところで
 しょうが、ゴム印で間に合わせているところに、明治時代のにおいがする
 ようです。
  こんな請求用紙、おそらく東芝には残っていないと思いますが、京都の
 小さな電気屋に残っていたのです。

《山科電機工場が東京電気株式会社(後の東芝)
 から明治32年に電球を仕入れた時の請求書》

  尚、東京電気の「会社のあゆみ」によると、その長い歴史の中で、1921年
 (大正10年)二重コイル電球を発明(世界初)、1925年(大正14年)内面つ
 や消し電球を発明(世界初)、1940年(昭和15年)わが国で初の蛍光ランプ
 を製作、などの文字が輝いています。(平成4年8月1日付電設新報による)
  
                             (第30話をお楽しみに・・・)
  

 


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