創業明治26年より
京都市中京区にて電気設備工事 
を通じて明るい社会づくりを目指しています。

 

第18話 お得意様のこと7
「先斗町歌舞練場と京都歌舞伎座」


  「先斗町」と言えば「歌舞練場」、「歌舞練場」と言えば「鴨川をどり」です
 ね。その「鴨川をどり」の舞台照明ですが、昔はろうそくを差し出して、立役
 の顔を照らしていたといいます。それを電気でやるようになって以来のお
 得意様です。
  当店の古い帳簿には、明治28〜29年にかけて、合計362円77銭5厘
 の売り上げが記されています。以降「鴨川をどり」の照明を受け持たせて
 いただきました。
  当店に明治45年に入店した杉江嘉一(当時小学校3年生。6年生まで
 店から夜学へ行き卒業)は、大変器用な人で、7〜8年で一人前になり、
 色々な工夫をして、自ら舞台装置を作ったりして照明をにぎやかなものに
 していました。その杉江がチーフになって永らく当店が舞台照明を請負っ
 ていましたが、戦後昭和35年頃に独立してもらい、以後は杉江個人の仕
 事となり、没後(昭和50年)その後継者が今日まで先斗町から依頼されて
 います。杉江は独立後も常に当社へ顔を出す昔気質の律儀な人でした。
  舞台照明に関係していたので、松竹及び京極付近の映画館や劇場へも
 出入りをしていました。
  明治の中頃、オッペケペー節で一世を風靡した川上音次郎(本名音二郎)
 や日本の第一号の女優と言われる貞奴、そして山口俊雄が歌舞伎座で上
 演した時には照明装置を請負ったのでしょう、その代金822円50銭を歌
 舞伎座へ請求している記録が残っています。
  後日、創業者吉之助の妻のぶが、吉之助は歌舞伎座へ仕事に行くと、
 用が済んでも帰って来ない、と息子の吉三(先代社長)によくこぼしていた
 そうですが、こんな芝居を見ていたのかもしれません。
  当時、先方への請求は、大工60銭、人夫50銭、それに対し電工は70銭
 と記されており、電工の地位が高かったことがうかがわれます。

《京都歌舞伎座関係の書類》

                             (第19話をお楽しみに・・・)
  

 


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